Higashiyamayaki Masakazu Wakui 江戸時代から受け継がれる窯と意志

Shingo Shi 新庄市 Masakazu Wakui 涌井正和

東山焼六代目弥瓶 涌井正和 作業風景
東山焼六代目弥瓶 涌井正和 作業風景

東山焼六代目弥瓶 涌井正和 作業風景

 江戸時代から続いている新庄市にある窯、東山焼。なぜ、こんなにも長い間続いているのだろうか。新庄東山焼の開祖、初代弥兵衛(やへい)は、享和元年に新潟県の農家に生まれた。秋田県に渡り、陶磁器製作の技術を磨いて行く中で、窯の棟梁にまで上り詰めた。さらなる発展を目指し、京都へと向かう途中、ひょんな事から新庄市に落ち着くことになる。
 そして、息子の二代目弥瓶(やへい)と共に最上地方の様々な場所を歩き、より良い土や材料を探し求め親子で切磋琢磨した。
三代目弥瓶は、地元の材料を使い、土地の人達から愛される焼物を作ることに尽力した。三代目の作った土鍋は、昭和時代に民藝運動をしていた柳宗悦氏の目に留まり、「土鍋としては、日本中のもので最も美しいでしょうか」と讃えられている。現当主、六代目弥瓶の涌井正和は言う。
「うちには古文書があって、初代からの歴史が記されているんです。初代達のように、一生懸命に手を抜かず、親子で共に良い物を作る為に頑張っていたこと。三代目のように、地元の人に愛される焼物を作ること。その姿勢は、私が焼物に関わるようになってから感銘を受けたことなんです。ものづくりというのは、良い物を作りたいという強い気持ちがあって、それからはとにかく経験だと思っています。外側だけ綺麗に見せようとしても、使い勝手が悪くては仕方が無いですよね。外見を考えながら、内側から作り上げて行くようなイメージで作っています。」
 正和が、東山焼を継ぐまでの道のりは平坦なものではなかった。自身は広島県生まれ。作陶を始めたのは、五代目・涌井弥瓶の長女と結婚した昭和五五年からだ。当時工房には多くの従業員がおり、まずはその中で一番の作り手となれるように、とにかく数を作り続けた。
 ぐいのみ千個、次は湯呑を千個。という風に、自ら課題を課しながらひたすら経験を積んだ。小さい物から大きい物を千個ずつ作っていき、またぐいのみに戻り、千個を作る。何周繰り返したのか自分でも分からない。
「一周、一周する度に感動したのを覚えています。初めは、同じ形を作るのに苦労していたものが、次の一周では手が覚えているんですよ。徐々にですが、手に持った感触をイメージしながら作れるようになってきたんですね。今は、息子が後を継ぐ為に頑張っていますが、仕事を一から十まで教えているところです。家族だからこそ、お互いに素直に話し合えない部分もあって、伝えることの難しさを感じているところです。言葉で伝えるのが苦手なのですが、初代親子のようにハングリー精神を持ちながら協力していきたいと思っています。」
 この土地の材料で、地域に愛される焼物を作り続けてきた。今も新庄東山焼があるのは、江戸時代からずっと醸成されてきた先人達の想いが、窯の当主から当主へ受け継がれてきた証なのかもしれない。
もがみのとっくりと盃

〈制作者〉とっくり・器:涌井正和(新庄東山焼)
〈素材〉とっくり・器:最上の陶土、家伝の釉薬(うわぐすり)